読書 「動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか」

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ここのところ、ハズレ読書が重なっていたので、間違いのないところを県立図書館で借り出して読んでみた。福岡伸一の「動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか」である。福岡といえば、「生物と無生物のあいだ」で、2007年に第29回サントリー学芸賞、2008年に第1回新書大賞をそれぞれ受賞しているが、「生物と・・」が自身の経歴に拠を置いたノンフィクション仕立てだったのに対し、本作はややエッセイ寄りなテイストでまとめられている。

彼の著作を読むたびに思うのだが、美文家である。近すぎず遠すぎずの比喩にも唸らされるし、ブンシセイブツガクという専門性の高いジャンルのお話を、ビジュアルイメージの描写から導入したり、研究者のエピソードを付加したりしながら、サイエンス一般になじみの薄い読者にも「分子生物学」の砦にとっつきやすくしている。

ただ、この「動的平衡・・」に関しては、後半部分でやや叙情的に流れすぎたのではないだろうか、とも思った。p.235の「自然は歌に満ちている」など、センチメンタルを愛する私には、たまらなく美しい情景ではあるのだが、サイエンスの地平を離れてしまったキライは否めない。福岡の好み、あるいは信念にリンクする部分であり、あくまでもエッセイだとの申し開きの余地があることは認めるが、非理系の人にとっては、そこを境にした論理のギャップがあることを見抜くのは難しいのではないだろうか。読ませるだけにトリッキーで、結果として、科学的に誤った認識を持つ人も出るだろうし、それを吟味せず喧伝する人も出てくるだろう、と思うのだ(さすがに、ゾウシロナガスクジラの間で、意思伝達的なコミュニケーションがとれるとは、私には思えない)。

そういう叙情的なお話があっても良いし、寓意的な示唆があっても良いとは思う(私もそういう世界を好む人間ではある)が、サイエンスの言葉として響かせるのは、いかにもマズイと思う。確信犯的にミスリードを誘っているように思えてならない。例えば、これが「パパラギ」の世界観の中でなら、何の問題もないのだけれど・・。

それから、本書のサブタイトル「生命はなぜそこに宿るのか」の、なぜ、に対する答えは、本書には書かれてはいない。このあたりのチェックは、出版社(編集者)の仕事なのかもしれないが、読み手へのミスアプローチであり、反則の部類である。


動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか
木楽舎
福岡 伸一

ユーザレビュー:
著者は別に科学の本だ ...
食物/ 細胞/ 生命 ...
我流な読み方ですが. ...
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エレファントム 象はなぜ遠い記憶を語るのか
木楽舎
ライアル・ワトソン

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