読書 「温かな手」

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論理展開による推理劇で一定の評価のある石持浅海の連作短編集である。
探偵役であるギンちゃん(男)とムーちゃん(女)は兄妹であり、人間に擬態した謎の生命体、という設定。彼らは人間の生命エネルギーを吸収して生きる生物で、人間に擬態し人間社会に溶け込み暮らしている。人間のエネルギーにも良し悪しがあるようで、いわゆる清らかな人間のエネルギーが彼らにとっては美味しいとなっていて、ギンちゃんは畑寛子という女性と、ムーちゃんは北西匠という男性と、それぞれ同居している。傍目には同棲する恋人同士に見えるこの生活は、人間(畑・北西)側にもメリットがあって、食べ過ぎたカロリーを兄妹に吸い取ってもらい健康を維持できる。また、兄弟は聡明な論理的頭脳を持っており、畑・北西が巻き込まれる犯罪の謎解きを行い、精神状態を安定させてくれたりする。その結果、兄妹の側にとっては、常に美味しいエネルギーを安定供給してもらえる、という共棲関係にある・・。

冒頭にも書いたが、石持作品は、ほぼ論理だけで謎を解いていくストーリーが最大の特徴になっている。私は「月の扉」、「水の迷宮」、「BG、あるいは死せるカイニス」、「扉は閉ざされたまま」、「セリヌンティウスの舟」、「アイルランドの薔薇」、「君の望む死に方」を読んだが、近作になるにつれ、展開に無理が多くなっているような気がする。

本作「温かな手」の連作第1編では、畑寛子が勤務する大学研究室で殺人事件が起きる。畑は第一発見者となり、警察の現場検証に立会い聴取を受ける。そこへギンちゃんが現れて、聞きかじった話だけで推理を展開し、事件の真相を見破るのだが、ネタバレ注意→白衣は、セーターにかかったコーヒーを一時的に隠すためだった、という推理は普通にありそうな展開としては、犯人にしか知りえない事象を知っていたとして、ギンちゃんが真っ先に疑われるはずで、警察が感心してその推理に従うというのには相当無理がある。

だが、しかし、この程度の無理は素通りしても良い、とは思っている。

それ以上に気になるというか、気持ち悪いのは、私は石持の作品にある種の選民思想を感じるのだ。
例えば今作でいえば、畑・北西の両人を、心の清らなか善人とし、ある種の超越者であるギンちゃん、ムーちゃんの兄妹がそれを担保する。「月の扉」でいえば、師匠と呼ばれる人物を中心にしたサークルのメンバーが、「セリヌンティウスの舟」では、海での遭難を一緒に経験したダイバー仲間が、「私たちは特別。そして清らか」という非常に内向きで、盲目的なエネルギーを孕んでいる。それを石持は「正しい」「理想的な」人間の姿として描くのだ。その感覚が私には、似非宗教自己啓発セミナー関係者の仲間意識に似て思えて、はっきり言って気持ち悪い。

それから・・・今作では、最終章で老人ホームを臭い、と書いている。登場人物の口を通して、その理由を解説しているが、このくだりは全く必要がないと思う。臭いと描かれる人のことをどう思っているのだろうか。事実ではあるかもしれないが、あえて触れるだけの必然性も目的意識も、ここには無いように思う。

人間にはそれぞれに、いろんなカタチの闇がある。そんな人間が嫌いなら、少なくともエンターテイメントの体で文章を書くことは止めた方がいいと思う。
※なので、ここでは私自身の手ではアフィリエイトをはらない。

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