「松本サリン事件」の河野義行さん 鹿児島へ

晩ごはんを食べに出ようと車を走らせていたら、「松本サリン事件」で有名になった河野義行さんが、2008年8月に60歳で他界した妻澄子さんの三回忌に合わせ、鉢伏山荘(岡谷市)で追悼のコンサートを開いた、というニュースをやっていた(走行中につき、音声だけで聞いていて、放送局は分かりません)。
そのニュースの中で、河野さんを紹介していたフレーズが少なからず気になった。
「1994年の松本サリン事件の被害者で第一通報者の河野義行さん」とされていたが、河野氏が有名になったのは、被害者だったからでも、第一通報者だったからでもなかったはずだ。当初は、警察も、その発表を受けたメディアも、彼を容疑者として扱っていたはずである。ニュースの前振り的な説明なので、という言い訳もあるだろうが、河野氏がニュースになるのは、やはりその誤認とその後の報道があったわけで、そのあたりメディアたるもの潔く報道してもらいたいものだ、と思ったのだ。事件ももう16年前。当時の事情を知らない人も、忘れかけている人もいるだろう。オウムの起こした事件としては、地下鉄サリン事件の方が広く認識されているし、松本サリン事件の教訓としては、誤認逮捕とその後の報道、の方が我々にとっては重要なはずだ。にもかかわらず、自らの汚点を意識的に風化させようとするメディアの姿勢はいかがなものか、と思うのである。TV局ばかりでなく、松本サリン事件当時では、もっとも強硬な論調を張っていた信濃毎日新聞のニュースでも、毎日新聞のニュースでも、同じような表現になっている。何とも情けない姿ではなかろうか。

で、その河野さんであるが、近々、信州を離れ、鹿児島へ引っ越すということらしい(後は住民票を移すだけだとか)。長い闘病生活の後、亡くなった奥さんの三回忌も終え、これで一区切り。あとは自分の人生を楽しむのだそう。私は正直なところ、良い選択だなぁ、と思った。事件の記憶は風化させてはいけないと思うが、河野氏がその責を、言葉は悪いが墓守のように、担うことはないだろうと考えるからだ。誰にも一度の人生である。狂わされた分を取り返す、ってのは、良い選択だと思うのだ。もっと正直に言えば、事件に関する著作も数多く出していたし、長野県の公安委員まで務めたり、と、さすがに事件に囚われすぎなんじゃないの?と思っていたのだ。(大きなお世話である、とは思う)。
「釣りでもして暮らします」
には、収入は?と思ってしまったけれど。これは・・・さらに、大きなお世話である。

大きなお世話ついでに・・。
コンサートでオルガンを弾いた松本理恵子さん、美人である。

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