スポルティーバの記事に異議あり! 高校野球はプロじゃないでしょ? 

【高校野球】甲子園決勝“大差”のワケ。明暗を分けたセンバツ後の両エース

スポルティーバ8月26日(木) 11時44分配信 / スポーツ - 野球

 沖縄県勢初の夏制覇、そして春夏連覇を狙った興南(沖縄)と、40年ぶりの大旗を目指した東海大相模(神奈川)。「13-1」と大きく点差が開いた決勝における両者の差とは何だったか。

 興南のエース・島袋洋奨は、夏の甲子園の決勝から逆算して、春の選抜優勝からの時間を過ごしていた。
「ずっと夏の甲子園での連投を考えてやってきました」
 だからこそ沖縄大会中も炎天下200球もの投げ込みを連日行い、蒸し暑さ対策として雨合羽をユニフォームの下に着込むような練習も行なっていた。

 その春の王者に挑んだ東海大相模のエース・一二三慎太は、目標こそ甲子園制覇を掲げていたが、神奈川大会を勝ち抜き、33年ぶりの夏の甲子園出場を目指すことだけで精一杯な時間の過ごし方をしていた。

 一二三は、4月上旬に行われた室蘭大谷との練習試合で相手右打者の頭部にデッドボールを当てて以来、オーバースローから投げるボールが右方向へ抜けていってしまう、いわゆるイップス(後遺症)に苦しんでいた。5月下旬に招待試合で訪れた沖縄で、島袋のフォームにヒントを得てサイドスローに転向したのも、そのイップスから解放されるフォームがサイドだったというだけだ。剛速球を捨ててでも、高校時代最後の夏を乗り切るために致し方ない決断だった。

 ところが甲子園が始まっても一二三の制球は安定しなかった。初戦の水城(茨城)戦では8回2/3を投げ、8個もの四死球を与えて3失点。腕の位置をやや高くして臨んだ3回戦の土岐商(岐阜)戦であわやノーヒットノーランの快投を見せたが、準々決勝の九州学院(熊本)戦で9安打(3失点)、準決勝の成田(千葉)戦では14安打(7失点)と打ち込まれた。試合ごとに、いやイニングごとに微妙にフォームが変わり、なんとかしのいでいこうとする姿勢だけが見てとれた。

 一方、島袋も今大会は決して本調子ではなかったように思う。初戦の鳴門(徳島)戦は、5回を投げて5安打を打たれ、四球も3つ。ストライクとボールがはっきりしているのが気になった。しかし、ランナーを背負ってからの、連打を許さない投球術がさえた。膝元へ決まる145キロのストレートは、なかなか高校生が打ち返すのは難しい。準々決勝と準決勝では、序盤に連打を浴びて失点するシーンがあったが、いずれの試合も味方打線が追いつき逆転すると、その後の島袋は相手に1点も許さなかった。

 決勝は、連投をものともせず強打の相模打線をわずか1得点に抑えた島袋に軍配があがった。ストレート狙いだった相模打線の裏をかいた変化球の中でも、とりわけ威力を発揮したフォークは選抜後にマスターした球種だ。島袋の計算はそれだけしたたかで、かつ的を射ていたということだ。

 決勝戦の直後、東海大相模の門馬敬治監督は言った。
「甲子園に来るためのサイド転向ではなく、一二三をマウンドに上げるための転向だった」

 マウンドに上がることだけに苦心した一二三と、決勝にピークを合わせ周到な準備を行なってきた島袋。両エースが決勝のマウンドにたどり着くまでの“差”が、「13-1」という結果を残したのかもしれない

柳川悠二●文 text by Yanagawa Yuji

スポルティーバより転載


何も真夏のクソ暑い時期にやることは無いだろう、と20数年前の自分の経験も思い出しながら、今年も高校野球を見ていた。決勝戦の組み合わせは、興南対東海大相模。好投手を擁する両チームの戦いは、13-1という結果に終わった。好投手といえども、真夏の連投はやはり厳しいもの。上記の記事にもあるように興南・島袋君の周到な準備は、さすがに優勝校のエースのそれ。賞賛に値するものだ。
さて、上記、スポルティーバの記事だが、敗れた東海大相模の一二三君にとってみれば、どうなのだろう?激戦の神奈川大会を勝ち抜き、甲子園大会も決勝まで進んだ彼の努力は、決勝の1敗だけで無に帰すものなのだろうか?記事の中には確かに、一二三君の努力が足りないとは書いてはいない。だが、「甲子園出場を目指すことだけで精一杯」、「なんとかしのいでいこうとする姿勢だけ」とは、ずいぶんな表現ではないだろうか。彼がプロの選手であるならば、その批判(あえて言うが、これは批判、あるいは中傷に近い文言である)も良いだろう。だが、彼はあくまでも高校生である。この柳川氏がどんな態度で高校の部活に臨んでいたのかは知れないが、おそらくは一二三君のようにイップスに悩まされるようなことは無かったはずだ。そこまで思いつめて部活動に取り組んだことは、私も含め、普通の高校生にはそうあるものではない。それを乗り越え、甲子園の決勝までやってきたのだ。その人間にかける言葉が「甲子園出場を目指すことだけで精一杯」、「なんとかしのいでいこうとする姿勢だけ」とは、なんとも寂しいではないだろうか?東海大相模監督の門間氏も「甲子園に来るためのサイド転向ではなく、一二三をマウンドに上げるための転向だった」などとは、口にすべきではなかった。この言葉を得た柳川氏は、一二三君の心情に斟酌せず、スクープでもものしたかのような高揚のままに、上記をしたためたのではないか?多くの人間が楽しみにしている高校野球で、あまたのビジネスが周囲にあることは承知ではあるが、その主人公はプロではない高校生なのだ。この記事からは、そんな彼らをただただ消費するだけの、おろかな大人たちの姿が浮かび上がってくる。そして最後の結びの言葉。これはいかにも卑怯だ。「かもしれない」とは、何なんだろう?推測だけで、一人の高校生を傷つけるような文章を公表して良いのか?それとも批判にさらされた際に、断言はしていないでしょ?とでも開き直りたいのか?柳川氏の覚悟を問いたい。また、この文章を公表したスポルティーバのスタンスも質したい。
柳川さん、一二三君の投げる球を、バッターボックスで見てみたらどうだい?

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